課長家島幸作

この物語は、ある男が人生の中で立ちはだかる不動産売却の難関を乗り越え、栄光をつかみ取るまでを描いた一大叙事詩である。

 

― ある会社の一室

上司：…つまりだ、ほかでもない君に課長の椅子を用意しているんだがね。

部下：え！？

上司：まだ正式な事例ではないが、そのつもりで仕事に邁進するように。

部下：は、はい！ありがとうございます！

 

― 朝の電車内

私の名前は「家島幸作（いえしまこうさく）」。つい先日、課長昇格の内定辞令を受け取ったばかりの男が私である。

今朝家を出るとき、わが妻「敬子（けいこ）」にこのことを話そうとしたが、なにぶん家事と子育てにしか興味がないもので、話しても喜ぶとは思えず話すのをやめた。

そもそも、まだ正式な事例が出たわけではない。

今ここではしゃぎすぎてもしこの話がお流れになったらどんなにみっともないことだろう。

そんな私の失態を目のあたりにしたときの妻の冷ややかな嘲笑を思い浮かべると・・・とても話すことははばかられてしまった。

大手電機メーカー営業本部販売助成部宣伝課係長、これが現在の私の肩書である。

しばらくすれば、この肩書の書かれた名刺は跡形もなく捨てられ、新しく課長と印字された名刺が机の上に置かれることだろう。

（ふふ。34歳で課長昇進か。同期連中と比べても悪くないな。）
（ふふふ。われながらよくここまでうまくやってこれたものだな。）
（くふふふ。このままいけばいずれは部長、まさか社長なんてことには…。）
ぐふ。ぐふふふふ。

 

おっと危ない。おもわず心の中の笑い声が漏れ出してしまったようだ。

目の前のおばあさんの視線が冷たすぎる…。

が、それもなんのその。

なんせ今、私には風が吹いている。

5年前にマイホームも購入、娘「奈実（なみ）」もすくすく育ち、仕事も家庭も順風満帆。

これに加えて課長昇進。これが笑わずにはいられるものか。

（やっぱり今日帰ったら敬子にこのことを話そう）

 

はやる気持ちを必死に抑え、いつも通りそつなく仕事をこなし、私は家路を急いだ。

― 夜、家島家のマンション

敬子。実は話したいことがあるんだ。

 

敬子：あら、私も相談したいことがあったの！

なんだそうなのか？実はお…

 

敬子：もう少し広い家にね、引っ越したいのよ！

…れかちょ、引っ越したい！？

 

敬子：奈実が小さい頃はよかったけど、もう小学生になるでしょ。女の子だし自分の部屋も欲しいでしょうし、私も一人になれる部屋が欲しくて。

お、おう。そうだったのか…。

 

敬子：家ってね、どんどん価値が下がっていくみたい。うちはマンションだから土地はないわけだし早めに売ってしまって新しいお家に住み替えた方がいいみたいなの。

どうやら敬子の奴、もう引っ越すこと前提じゃないか…

そうだったんだな…。よーし！実はおれ、もうじき課長に昇進するんだよ！これもなにかのタイミングだ！今後のことも考えて広い家に引っ越すか！

敬子：じゃあ今度の休みにここを買うときにお世話になった不動産屋さんまで行って話を聞きに行きましょう。いい？

ああ、そうしよう！

 

あっ、課長昇進の話、自然にスルーされてしまったな…。

不動産屋…。そういえば…ここを買ったときにお世話になったあの子、今も元気に頑張っているのかな。

― 休日、とある不動産会社にて

営業担当：そうですね～。家島様のマンションですと、3000万円で売りに出すのはいかがでしょう？

えっ！3000万円で売れるんですか？

 

営業担当：せっかく弊社からご購入いただいた物件でしたので、残念ではあるんですが、精いっぱい高い金額で売れるように頑張らせていただきます！

そこまで言っていただけて嬉しいです！じゃあお願いしようかな♪

敬子：ね？だから早く売る方がいいって言ったでしょ？

早めの決断が大事だったわけだ。

 

敬子：よかったわ～。

そういえば、このマンションを買ったときにお世話になった三軒茶屋さん、今日はお休み？

営業担当：あ～、そんな人もいたらしいですね。僕はこの会社に入ったところ何であまり知らないですけど、なんかウチと合わなくて辞めてしまったみたいですよ。

敬子：あらそうなの…残念ねぇ。

営業担当：まま！今回は僕がばっちり家島様の担当として、3000万円で売ってみせますので、任せてください！

若いのに頼もしいなー！じゃあお願いしますよ！

 

営業担当：ありがとうございます！じゃあ、この専任媒介契約書にサインを…。

突然の話であったが、家を売る準備は出来た。

あとは不動産屋の彼に任せておけば問題ないだろう。

3500万円で買ったマンションが3000万円で売れれば文句はない。

― １ヶ月後

あれからというもの一向に買い手が見つからず、いたずらに時間だけが過ぎていった。

営業担当からは2度連絡があったが、「なかなか買いたいという人が現れませんね」の一点張りだ。

いったいどうすればいいのでしょうか？私は素人なのでお任せするしかなくて申し訳ないのですが。

営業担当：うーん・・・。家島さん、提案なんですけど、値段を下げさせていただくことは可能でしょうか？

えっ！？3000万円で売れるっておっしゃっていたじゃないですか？

営業担当：申し訳ありません。ただ、このままいけばずっと売れず仕舞いでは家島さんも先に進めなくなってしまうと思うのです。2500万円で、値下げチラシをうっていきますので！

そう言われればそうなんですけど…。わかりました。それですすめてください。

 

― さらに1ヶ月後

営業担当：家島さん、もう最終手段です！2000万円で売り切ってしまいませんか？実はここだけの話、2000万円ならと物件を探していらっしゃる方がいるのですよ。

2000万！？最初は3000万円で売りに出したのに2000万円ですか！？

営業担当：家島さん、家の価格は値引かれてあたりまえです。これで売ることができれば新しいお家へ一歩前進じゃないですか！

いや、ちょっと待ってください…。少し考えさせていただいてもいいですか？

― 幸作いきつけのバー「ヤチコ」

おいおいこんな感じなのか家を売るのって…。

 

最初は3000万円で売れると思っていたのに、今では2000万円で売りましょうと迫られている。

しかし、今の家を売ってしまわないと次の家を購入できないというのもまぎれもない事実だ。

なんだよまったく、自信満々に3000万円って言ってきたくせに…。
あの自信は一体どこに行ってしまったんだよ…。

 

はあ～。本当にこのままでおれの家は売れるのかな…。

？？：あら、家島さんじゃありませんか？

き、きみは…！？

 

お久しぶりです。まさかこんなところでお会いするなんて。

現れたのは先ほどまで訪ねていた不動産会社に在籍していた三軒茶屋久美（さんげんちゃやくみ）さんであった。

私が今の家を購入する際には大変お世話になったものである。

私もよくここのお店にくるんですよ。

 

そうだったのか～。

 

ところで、先ほど大きなため息をつかれていたようでしたけど？

 

聞こえちゃってたのか、恥ずかしい…。そうだ、ぜひ三軒茶屋さんにも聞いてもらいたい話なんだけどね、実は…。

私はこれまでの不動産会社とのやりとりを三軒茶屋さんに伝えた。

家を購入する際にも数々のアドバイスで私を導いてくれた彼女なら何か助言を与えてくれるかもしれない。

…というわけなんだけどね。

 

あの会社まだそんなやり方を続けているのね。

 

えっ？

 

家島さん、はっきり言って今のままだとあのお家、売れないままですよ。

 

ええー！！

 

その担当が、あなたの家を売るために、何をしてくれたかってちゃんと聞いています？

 

いや、おれは不動産のことなんて素人だし、聞いてもきっとわからないだろうから全部任せっきりにしているけど。

 

そんなことだろうと思いましたよ。そもそも、不動産会社もその1社にしか行ってないんじゃありませんか？

 

だってさ、家を売るのって買った不動産会社にお願いするものじゃないの？

 

違いますよ…。むしろ複数の不動産会社に査定をお願いする方がいいです。

 

家島さん、もし自分の家を高く売りたいなら、売り主であるあなたもちゃんと準備をして、どうすれば高く売れるか、どれだけの費用や税金がかかるのか、そういった最低限の知識を身につけておく必要があります。それを怠っていては今みたいに悪徳な不動産会社のカモになるだけですよ！

 

おれ、カモなの！？

 

大カモです！あの家なら、ちゃんとした不動産会社に依頼すれば3000万円で売ることも不可能ではないはずです。もう、仕方ありませんね…。

三軒茶屋さんは私に一枚の名刺を差し出した。

不動産売買アドバイザー 三軒茶屋久美？

 

現在の私の肩書です。あなたの家を売るための知識・方法、私がみっちり教えてさしあげます。

この再会が私の人生に大きく関わってくることを、私も、そして彼女もまた知る由もなかった。

とにもかくにも、こうして私の家売るオトコとしての壮絶な人生の幕が上がり始めたのである。

もう一度言おう

この物語は、私、家島幸作が人生の中で立ちはだかる不動産売却の難関を乗り越え、栄光をつかみ取るまでを描いた一大叙事詩である。